合気修行ベネフィット

会員の声

・当会発足会員、指導担当

藤本指導担当の指導風景
藤本指導担当の指導風景
藤本浩志
    
 30歳を手前に脱サラ、東洋医学を学び鍼灸師を取得する。

 東洋思想である陰陽五行論や自然の摂理を学ぶうちに、人も自然の一部であり、すべてにおいて、バランスが重要であることに気づく。

 そして、自身の体内感覚や身体の使い方・モノコトの捉え方や考え方など、自己変革の必要性を感じ、北野先生に師事することとなった。

 それ以前にも合気道に興味があり、大阪市内の2ヶ所の道場に通っていたことがある。
 
一つはサラリーマン時代で、合気道に対する興味だけで通ってみたが、そこの合気道は関節技でしかなく、半年で違和感を感じ退会した。
 
もう一つは、鍼灸師になってからの自己変革のためであった。そこは円運動を主とした合気道であったものの、趣味スポーツの領域であると感じ、自身が求める自己変革には役に立たないと思い、一年ほどで退会した。

 そんな折、鍼灸仲間が合気観照塾を紹介してくれる。
 ビギナーとして稽古に参加させて頂き、北野先生の合気を体験する。
 正直、意味がわからなかったが、ここには「違うナニカがある!」と感じ、入会を許可していただいた。

 しかし!
通えども通えども、意味がわからず、稽古に通うのも少し億劫であった。
 三年ほど経って、ようやくナントナクやってるコトがわかりだし、稽古が楽しく感じだす。
 しかし、自身からの合気の発動はできない!「頭も身体も、もっともっと変えていかなければ〜」と痛感する日々を過ごす。

 先生に師事し五年くらい経ってからか、模擬刀を購入。
 それをきっかけに、当道場世話役である兄弟子からのお誘いを受け、マンツーで個人稽古をしてもらう。

 私は柔術よりも剣術のほうが相性が良いようで、そこから身体の使い方や感覚が変わり出した。
 変わり出すと楽しさも格段にあがり、ドップリと合気剣術にハマりだした。

 日々の生活にも、その所作を落とし込み、健康やモノコトの捉え方に活用している!


 「合気とはナンゾや?」

・・・私には、言葉では伝えられない。
今だ自身も理解できない。

だからこれからも、日々探求也!!

・当会発足会員

当道場世話役
当道場世話役
略歴
 24歳で岡本正剛宗師主宰の大東流合気柔術六方会の大阪支部に入会
 当時同支部長であった北野三樹雄師範に師事する。
 2003年北野師範主宰の合気観照塾に参加し、2013年に北野師範門下である当会白川代表、藤本指導員等とともに大阪府堺市拠点の合気修行の会として当会を発足し現在に至る。
趣味:  土いじり アウトドア
     歴史探訪
 大学の少林寺拳法部で少林寺拳法大範士奥村正千代先生の技に魅了されていた私は
  力の世界観が違う奥村先生の技に  
  どうすれば近づけるか
と考えていました。
 そんな折、作家津本陽さんが著された「鬼の冠」を読み、大東流合気柔術を知りました。
 私は即座に住んでいる大阪中の大東流合気柔術の道場を訪ね回りました。
 しかしどの道場も大東流合気柔術をうたっていても、私には合気が感じられず、関節技を主とした柔術の域を超えていないと感じられました。
 そうして当時大阪府豊中市にあった大東流合気柔術六方会にも見学に行きました。 
 するとどこの道場とも違う雰囲気が漂っていました。
 列挙すると
 ・ばらばらの道着を着ている
 ・道着すら着ていない人もいる
 ・体操したり木刀を振っている
 ・「吸い込みがどうの」等の意味不
  明な会話をしている
でした。
 私はその雰囲気に押し返され、
   ここは何の集まり?
という懐疑心を抱いただけで何も声をかけずに帰りました。
 
 その後も他の大阪府内の大東流合気柔術の道場を回り各先生と会話をさせて頂いた結果、やはり合気を感じることが出来ず、どこの道場も腑に落ちませんでした。
 私は
  やはり合気は絵空事なのか
と合気探しを辞めようと思った時、
  そう言えば六方会の先生とは会話をしていない
  合気探しを終えるためには、六方会の先生と会話をしてから合気探しを終了しよう
と思い立ち、再度、六方会大阪支部を訪れました。
 そこで六方会の大阪支部長をされていた北野三樹雄先生とお会いし、正座された北野先生の両手を掴んだ瞬間、私の世界が変わりました。
 明らかにそれまでに無い感覚で、腕を力いっぱい掴んで攻撃しているはずなのに、
 明らかに相手に力が届いていない!
 というか相手をとらえられない!
 おかしい!
 目に見えているのは自分が相手の両腕をしっかりと掴んでいる画像なのに!
 どういうこと?
 何が起こっているんだ?
という思いでパニックになり、何度も畳に投げられました。
 私は即座に入会希望を北野先生に告げると、北野先生から
  まず頭の中を変えて下さい
  そこからです
と言われたのを覚えています。
 そこから5年間程は、さっぱり自分が何の稽古をしているのか分かりませんでした。
 ただ確かだったことは、
 ・北野先生について行けば合気が分かるという確信
 ・3年間激痛で悩まされ、医者にサジを投げられた足底筋膜炎が治った。
という実績です。
 興味を持たれたなら絶対に是非一度経験されるべきです。
 私は一度は食わず嫌いで通り過ぎましたが、奇跡的な二度目の訪問で合気に出会えたのですから。
 

・古参会員

池田二朗      
公務員
趣味  アイロン掛けと木刀磨き

 私は、4年前肩を痛めて内視鏡手術をしました。
 手術前は、くしゃみをしても痛みが走りほぼ肩を動かす事が出来ませんでした。
 術後はそう言う痛みは無くなったんですが、常にバンドで強く締められている様な感覚と肩が上がりにくい状態でした。
 そんな時期に、私は何故か東雲道場の門を叩きました。
 東雲では、姿勢、歩法、剣術、合気柔術の稽古して来たのですが、特に様々な動作の中での姿勢を重視している様に思います。
 手の指、手首、肘、肩、首、肩甲骨、背骨、仙骨、股関節、膝、足首、足の指等の外部の動かし方や内部の動かし方、呼吸や各部の緩め方をきめ細かく指導して頂くうちに徐々に形ができ、その意味が解りだして来て、今まで疑問に思っていた、正しい姿勢とは何だ?と言うのが吹っ飛びました。
 それが面白くなり、日常にも取り入れ、肩の違和感がいつ無くなったのか、分からないくらい夢中になっていったと思います。
 肩だけでなく、定期的に襲って来たギックリ腰やその他の痛みや症状も今では、ほぼ無くなってしまいました。
 あの時、東雲道場の門を叩いていなければ、固まった身体と凝り固まった思考で今の私と比べたら、違う人と思わられるくらい違うんじゃないでしょうか。

 これは、合気観照塾東雲道場で習い感じた事の極一部です。
 ここには、この3万倍の楽しく興味深いものがあると私は感じています。

 そんな身体の奥深さと面白味を入門以来、熱心に教えてくださった指導者の方々と共に稽古をしてくださった方々に感謝致します。

・古参会員

三原幸子
年齢内緒
色々なセラピスト資格持ち。

色々な資格の勉強している内に、
  自分自身の体が整っていないと施術相
  手も癒せない❗
に気がつき
  元々剣が好き❤️
って事で東雲道場に通い始めました。

  呼吸で‼️剣を扱う??脱力する。

「呼吸って普通にしてるやん」と思いがちですが、お稽古していく内に、
   私全く呼吸出来て無い❗
事に気がつきます。

 呼吸は、姿勢であったり、丹田の使い方で大きく変化します。

 まずは、腰痛が治り、猫背が治りました。

 体の使い方で、鞄等の重たさが軽く感じる事が出来ました。

 一つ一つ出来る事で、楽しさが増しました。

・古参会員


職業:助産師

北野三樹雄 師範に
ある方のご縁で
身体の調整をして頂いたのが始まりでした。

これまで習ってきた
西洋医学とは違う
何かを感じたので、
北野三樹雄 師範の
主宰される観照塾に参加させて頂きました。

その日は木刀を使った
身体の調整の練習でした。

木刀は初めて手にとりましたが、すっと天へ上げる感覚…振り下ろす感覚に魅惑してしまいました(笑)

その感覚が忘れられなくて
さらに体感したくなり
東雲道場とのご縁ができました。

刀は力で振り下ろすものではなく
体重、重心の移動である…?

私には
まだまだ…未知の世界ですが
道具に教えてもらいながら
自分の身体の癖に気づき
綺麗に
健康的に
過ごせたらいいなぁ~と
日々気をつけるようになりました。

私は東雲道場では
真剣を扱えるようになることも目標ですが…

まずは
自己の身体作りからが
スタートです。

自分の中心軸を作ること…

自分らしく生きる力を養うこと…

最初は
わけがわからない事ばかりですが
続けるうちに
身体が反応していきます。

日々の生活に繋がるような練習方法を
指導者の方はアドバイスしてくれます。

だから、続けれるし
身体が変わり始めるのだと感じています。

・古参会員

・古参会員

 第二次大戦後、徴兵制度が無くなり 敵を倒す訓練を受けなくなった最初の世代(S20年8月生まれ)です。

 では、無法者を懲らしめるのは? 

    それは警察のお仕事。

 無法な侵略を防ぐのは?

    それは自衛隊のお仕事。

 国民は安全・安心に包まれて生活できます。

    それなのに何故?


 007は二度死ぬが、高齢者は三度死ぬ。社会死(退職)、生活死

(要介護)、そして身体死(80歳)です。身の回りで生活死の人たちを多く見ており、これを避ける目的で5年前の2014年1月、観照塾・東雲道場の門を叩きました。当時69歳の全くの素人が 当時64歳の楽隠居さん(K先生)の指導を受けるべく 合気柔術と剣術の世界に飛び込んだのです。

それからの5年間、憑かれたように毎月1回の研究会に通いながら、毎日屋外で一人稽古を繰り返す生活になりました。白髪の歯抜け爺さんが 杖術の杖を、剣術の木刀を振り回す様は 近隣の人には奇異に映り、遠目で不審者を見るようでした。

それでもつづけ、明年、後期高齢者となります。何故続けられるのか、その答えは

   “人の世は われを何とも言わば言え 
       わが為すことはわれのみぞ知る”

と 自分には答えているのだが その思いを少し吐露します。

           記
道場での初心者向けメニューは、呼吸と意識を稽古に取り入れたもので、基礎訓練として歩法、合気の身体になる体操、太極棒を使った体操、等です。

1年半後には 毎日30分間 基本の繰り返しを飽くことを知らずに続けていました。

一人稽古は語学の訓練と似ており、性分に合って
いました。そして月1回 道場で一人稽古の修正をK先生にお願いし、稽古メニューの追加をしていきました。

一人稽古の目的は極めて単純でした。それは老後の気力・体力が衰えるのを防ぐためであり、究極には心胆の訓練だと思っていました。

両親の介護支援で通う病院で 多くの老人のヨチヨチ歩きを見るにつけ、平均寿命を全うするまでは
   『生活死(要介護)は絶対に御免!』
と思い続けていました。

冬季(12月~2月)には屋外での一人稽古ができないので、屋内で抜刀術の稽古を楽しみます。

柳生制剛流の表1本目「向うの刀」、2本目「ひきみ」、3本目「胸の刀」という具合に、室内で30分程度 繰り返します。

そのうち 剣先を見ないで納刀ができるようになり
ました。

月日は流れて いつの間にか 毎日屋外で1時間余り、一人稽古が続くようになりました。歩法15本、杖術4本、七刀、小太刀での廻刀、提歩素振り10本、その後 身体が自然に動くに任せて 自由に振ります。型にこだわらず 一瞬、一瞬の判断で肩幅の範囲で上、中、下、で木刀が走ります。これは不思議ですが身体が自然に木刀を走らせるのです。

こうなると、格好いー!という声も 聞こえてきます。

<やっぱりなー!>
今年5月、起床時に失神で倒れ、気が付くと左手中指・薬指が小指側に直角に折れて 皮が破れて骨が飛び出していました。独居老人が大津赤十字病院に救急搬送されました。

近所からの声が、“あれだけ運動していても やっぱり歳やなー”

<病院で>
あれー! 骨は折れていない、血管も神経も大丈夫、靭帯も切れずに骨から引きはがされている。高齢者なのにしなやかな手やなー!

<手術>
骨に縫合糸付きのアンカーを打ち込んで 靭帯と結ぶ手術が4時間
かけて行われた。3日で退院。

<療養後>
本人:     生活死(要介護)から逃れられ 残る平均余命6年を
  “限りある 身体なれども限りなく 使えるものとと心励みて”

近所:     懲りない爺さんやなー!

       滋賀から参加の初心者